zakki

雑記です

古巣に帰る

久しぶりにブログを更新します。

 

最後に更新したのはいつの頃だったかもう覚えていないのですが、あの頃から自分の内面や周囲の環境は随分と変化したように思います。

 

このブログを書き始めたきっかけは、惰眠を貪る大学生活の中で、本当に日々が暇でどうしようもなくて、世間との関わりも希薄で、そんな中で少しでも自分の取り留めのない日常を外界に向けることで、なんとなく孤独を和らげようとしていたのだと思います。

 

それからブログを書かなくなったのは、多分、徐々に世間に居場所ができて、愛することのできる人やコミュニティができて、もう自分が孤独というにはあまりにも満ち足りている(満ち足りている様に見える)状態になったからなのだと思います。

 

今の自分は社会的には充足していて、とても幸せな人間です。

でも、やっぱり孤独だった頃の思考の癖が抜けずに、偶にうまくいかないことがあると人間関係や社会への不信感で押し潰されそうになります。

 

やっぱり自分は一人の方が向いていて、一人になるべくしてなったのだと思ってしまいます。

 

 

過去に更新していたブログを見返すと、今の自分にはないバイタリティや希望へ向かう意思が感じられました。

でも、結局彼も一人で孤独に押し潰されてどうしようもない夜ばかりだったし、希望に向かっていれたのは深い絶望の中にいたことの何よりの証拠なのだと思います。

 

 

今の僕にはどっちが良いのかわからないです。

どうしたって向いていない人間関係や世渡りをこれから上手くこなせる自身はないし、かといってずっと孤独の中にいて暗闇に飲み込まれてしまわない自信もないのです。

早い話がただの駄々なのですが、どうにもこの世界には自分の居場所がないという錯覚が常に頭から離れません。

 

 

僕には実家と呼べる場所が既にありません。その代わりに、唯一心が戻れる場所として、実家があった場所の裏山の中腹に位置する神社があります。

地元にいた時は、悲しかったり、感情がぐちゃぐちゃになってどうしようもなくなった時はよくそこに向かっていました。

なんの変哲もない古びた社があり、境内の柵越しに住んでいる街の景色が一望できました。

夕暮れ時に行くと、近くの踏切の音や、風が木々を揺らす音が聞こえ、少し赤みがかった空が見えて、ざわついた心を段々と落ち着けることができました。

その場所は物を言わず、黙って自分のそばに寄り添っていてくれる気がしたのです。

 

 

 

あの場所に帰りたいです。

これからとこれまでの為に。